社交ダンスインストラクター井上淳生の「A little star in our body」

#28 規範・逸脱・物語

DSCN0463.JPG《今まさに。小樽祝津の海で繰り広げられる、夏の饗宴です。》

最近出合った本に
          『リハビリの夜』(医学書院 2009年)
があります。

著者は、小児科医の熊谷晋一郎さん。
出生時に仮死状態となった後遺症で脳性まひとなり、
以後車いす生活をされているそうです。
お会いしたことはありませんが、
本書の中でとても興味深い一節を見つけました。

 
       随意運動を手にするためには、既存の運動イメージに沿うような
       体の動かし方を練習するしかない、というのは間違いだ。
       それとは逆に、運動イメージのほうを体に合うようなものに
       書きかえるというのをというやり方もある。
       私はこのような自分の経験を通して、規範的な運動イメージを
       押し付けられ、それを習得し切れなかった一人として、
       リハビリの現場のみならず、広く社会全体において暗黙のうちに
       前提とされている「規範的な体の動かし方」というものを、
       問いなおしていきたいと思っている。(p.2

ぼくは、この本の中に一貫してみられる、ある姿勢に強く共感を覚えました。
それは、自分の身体や意識の外部にある"矯正プログラム"なるものに、
自分を合わせていくという構図に異を唱える姿勢です。

社交ダンスの世界に置きなおしてみると、
この姿勢に底流している考え方は、

師が示す「正しい動き」から1ミリもはみ出すことなくなぞっていく
という構図への違和感であり、
先人が示す「正しい人生設計」なるものを先人がそうしたのと同様にたどっていく
という図式への疑念だと思います。

これは、
自分の外にある「動きの枠」に自分の体をはめ込んでいくという構図ではなく、
自分の感覚を拠り所にして、逆に自分の外にある「動きの枠」を
書き換えていこうという態度だとも言えそうです。

この「動きの枠」というのは、
「共同体に流通する支配的な物語」であり、
「威厳に担保された、有無を言わせぬ決まり事」であり、
「マニュアル」であり、
「理論」であると思っています。

社交ダンスの世界では、
だいたい次のようなライフパターンが
「正しい人生設計」として流通しているようです。


       20代から30代までは、競技会に出て好成績を収め続け、
       A級になってチャンピオンになって、その生活の中で
       パートナーと良い関係になって結婚して、
       引退を控えた40代頃に独立してスタジオを開いて、
       若くて優秀な(競技成績も良くお客さんも呼べる)
       スタッフを雇って・・・

といったものだと思います。

これが、
今、日本の社交ダンス界に生きる人たちに共有されている物語だと思います。

熊谷さんの言にならえば、ぼくは、
社交ダンスの世界に流通するドミナントなモデルをトレースできなかった
者の1人として、「規範的な社交ダンス教師のあり方」というものを
問いなおしたいと思っています。

このような作業をすることで、
自分のように、共同体のみんなに信じられている既存の物語をトレース
できなかった人の人生に何らかの役に立つことができれば、
と思っています。

支配的な物語を歩むことができている人は、とても幸せだと思います。
しかし、自分はそうできなかった。
かといって、そのことで自分を責めることもないし、責められるいわれもない。
そういう態度があっても許されると思っている。
そして、自分が歩まなかったけど大勢の人が歩んでいる物語を
相対化してみるということ。
数ある物語のうちの1つであると考えるということ。
そして、その物語がどういう内容のものなのかをできるだけ詳しく記述していくこと。

こういうことが大切だと思います。
ぼくがこのコーナーを通じてしようとしていることは、
まさにこの点に尽きると思っています。

自分の周りにある物語、自分が生きたい物語、
そういうものを自分の感覚を頼りに発想していく。
そうやって生きていければ、と思います。

今回はこの辺でzzz

2010/09/27

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