さすらいの雲水フットボーラー 

因数分解

先日、縁のある友人から脳科学の研究をされている先生にお会いしました。

なにやら僕と雰囲気や考え方が非常に似ているらしく、兄弟みたいだからぜひ紹介したい!と言ってくれました。

僕も脳科学に関してすごく興味もあったし、ぜひお会いしたいと思い、彼のオフィスまで訪れた。

第一印象。
たしかになんか似てる。
見た目ではなく雰囲気。なんか心地良い。

そして話をしていく。
話していくとお互い共感することばかり。
僕がいままで生きてきて、自分で感じ、実践してきたことがまさに脳科学の理にかなっていることが分かった。
自分が感じたことを、なぜ自分はそう感じたのか?どこにポイントがあったのか?
ということを日々考えて生きてきた。
例えばTVを観ていて、CMが流れ、なんとなく観ていてたまに「おもしろい。」とか「いまの商品なんかインパクトあったな。」とか感じたときに、「なぜ自分はいまおもしろいと感じたのだろう?」「なぜインパクトあったのだろう?」と考える。

人と接したときも、何かを言われて、何かをしてもらって、「嬉しい」と感じたら、「なぜ自分がそう感じたのだろう? 」「ああこういうことを言われたからか。」「こういうことを言われると自分は嬉しいと感じるんだな。」などと自然と考えてきた。

逆に「悲しい」ときやモヤモヤしたときなどもしかり。

なにかでストレスを感じたときは、なぜ感じたのかを分析し、感じないような考え方をしていく。

自分はいまこういうふうに感じたけど、それは良くないんじゃないか?→じゃあそう感じないためにはこういう考え方をすればいいんじゃないか?→じゃあそうやって考えよう。

という感じ。

そうするとストレスを発散するというより、そもそもストレスを感じなくなる。

常に自己分析をして良いと思った方向に自分を変えていく。考え方や習慣など。

もちろんいきなり全部変わることができるわけではない。でも、少しずつトライしていけば徐々に変わってきて自然にそれが慣れてくる。
そういう自分を実感しながら生きてきた。

例えば僕は昔極度の人見知りだった。
中学校卒業まで人に話しかけるということがまったくできなかった。中学3年間で男女問わず友達やクラスメートに僕から話しかけたことはたぶん1度もない。もちろん質問に答えることはできたけど。自分から話すということができなかった。

サッカーをしていてボールが遠くにころがっていって、そこに友達がいても、「取って」と言えず、遠くから自分で取りに行っていたくらいです。

友人「いや、声かければ気づくし。取ってって言えよ。」

僕「あっ。うん。」

のような感じ。

しかし、「それではまずい。いろんな人と話できたほうが楽しいはずだし、このままじゃ人生損していくんじゃないか?」と思い、高校に入ったときから勇気を出して自分から話すように努力しました。

最初はなかなかできなかったけど、少しずつ慣れてきて、大学に入るころには人見知りゼロ。今の僕を知る人には想像できないってよく言われます。

逆に中学のころの同級生とかに会うと、そんなしゃべれる子だったっけ?と驚かれます。

人って自分次第で変われるんだと思い、様々なことで実践してきました。それで感じたのはまさに自分がイメージしたとおりに自分がなっていくということ。

なので、その脳科学の先生から「いま何か変えたいことはありますか?」と聞かれたけど、まったくありませんでした。

あれば自分で分析して、イメージし、そうなるためにはどうすればいいか一つずつ噛み砕いていき、徐々に変えていってきたからです。

先日お会いしたある人が、「物事を因数分解していく」という表現を使ってらっしゃって、それをお借りすると、まさに

自分自身を因数分解していく

自分が感じたことを因数分解していき、それをもとになりたい自分をイメージしてそれを実践していく。その繰り返しでイメージしたとおりに変わっていける。自分の感じてきたことに脳科学的な裏付けもでき、非常に嬉しかった瞬間でした。

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2010/09/30

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