翌朝の今日。
気分は最悪。
大放参で二時間多くいつもより寝れるから二時間前に起きて坐禅をしようと思ったんだが、起きてフトンをたたんでびっくりさ。
体がやばいの。
全身がゴムでしめつけられてるみたいで背中から肩にかけてはガチンガチン。
いつもやってるノビをしようと思っても痛くてできない。
もよおしたので小庫院の時、毎回使っていた東司に入り、去年はこの東司で五分でも体を休めようと便器に寄りかかって足を壁にかけて血が流れますように・・・なんてやってたなぁって思いながら用を足し当番所に行った。
当然みんな寝ててまず二階に行ってわるいことをしてカラダをとことんおいつめて坐ろうと思って二階に行った後、下でまず背骨と肩まわりをとにかくいろいろうごかした。
したら今までたまってたもんが、ぐわってなってきて気持ち悪くなって東司で吐いた。
帰って茶を飲んでもっかい肩背中をうごかしてもっかい東司で吐いた。
ずいぶんすっきりした。
七日間坐禅三昧の日々で急にシャバっぽい事したから体がついてけなかったんだろう。
怖いのは上山前は自分は絶対にその状態であったはずなのにそれに全く気づかなかったって事だ。
今日よりひどい体の状態でも肩がこったとか背中が痛いとか思ったことはなかった。
人間ほんとに恐ろしく環境に適応してしまう。生まれてから坐禅三昧で永平寺の如法生活してた人が現代の暮らしをいきなり一週間したら死ぬよ多分。
それぐらい体に無理がかかってるのかもなぁと思った。
だってすげぇイタイんだもん。
だから胃薬とかその他なんでも人工的に外の力でやるのは一歩考えた方がいいなぁ。調子の悪さは大切なサインなんだ。
そんなくだらないことを考えて肩をヒョイヒョイうごかしてるうちに結局坐禅は40分もできなかったけどおもしろい朝だった。
あとがき
小庫院にいたころはまだ永平寺に入り立てで身体がなれていなかったので本当にきつかった。あまりに眠すぎて、でも仕事していないと怒られるから眠ったままデッキブラシを動かしていた。軽い脚気になって脚に血がたまるのだ。「東司にいく」といってこっそりトイレで二分三分の休みをとって凌いでいた。脚を上の方に上げて滞った血液を循環させようとしたり壁にもたれかかって仮眠をとったり。
吐く程に気分が悪くなる時は、必ず大きな身体の変化が伴っている。この時も永平寺の規則正しい生活と澄んだ環境のおかげで、それに敏感に反応することができていた。
永平寺に行くまで、自分は「肩が凝った試しはない」と思っていた。しかし、恐ろしい発見だったのは自分は肩が凝ったことがないのではなく、「凝ったことに気づかない程肩が凝っているのが当たり前」になっていたことだ。
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