社交ダンスインストラクター井上淳生の「A little star in our body」

#7 感覚を研ぎ澄ます

CIMG2486.JPG  ≪少しづつ紅葉し始めた公園。V字の航跡を生みながら、鴨が近づいてきます。≫

社交ダンス。

それは。

身体感覚に対する敏感さが求められる営みです。


これぐらいの負荷をかければ、

これぐらいのリアクションが返ってくる。


このタイミングで運動を始めれば、

この音に合って見える。


そうやって、身体感覚を研いで磨く。


それが、社交ダンスを習得する、王道だと思います。


ただ。


社交ダンスは、相手ありきの踊りです。


身体感覚を自分1人だけで完結するのではなく、

相手とも共有しなければならない。


そういう特殊な営みです。


相手の動きやフロアの状況を「目」で確認し、

メロディーやビートを「耳」で受信し、

相手のウエイトやテンションを「手」で確認する。


見るだけでもだめだし、聞くだけでもだめ。

手を握るだけでもだめ。


それらを総動員して、身体そのものが

"踊る"という行為につながらなければなりません。


僕達の身体の外に張り出した感覚器官を通して、周囲の状況を分析し、

それを踊りという形に結晶させる。


社交ダンスはそういう行為だと言えるかもしれません。



この前、星覚の文章に、「くらやみ」がありました。


陽が落ちたら暗くなる。

それはあたりまえ。

でも、都会では、いつでも明るい。

それって、僕達の身体感覚を狂わせているんじゃないか。


そんなふうに理解しました。


夜も、街のあちこちに灯る人工の光が闇を駆逐し、

僕達の目に、身体に、無条件に明るい景色を提供する。



以前、アレクサンダー・テクニークのグループレッスンを受けた時、

参加者の1人がとても興味深いことを告白してくれました。

 

 私達は、「目」という感覚器官に頼りすぎている。


そんな内容のお話でした。


ある時、部屋の電気が停電した時、彼は気付いたそうです。

真っ暗になった部屋の中で、目以外の感覚器官が、

むくむくとその活動を始めているような気配に。


この現象は、星覚の言う

「鎖骨が解放される・・・うわー」という表現と同じようなものだと思います。


 まさに星の光の発動ですね。


耳で考える―脳は名曲を欲する』という本(養老孟司・久石譲)では、

「目」に極度に依存した現代に生きる人々の様子が指摘されています。


そして、「目」だけではなく、「耳」も使えと。


何か1つの感覚器官を主導的に作動させるのではなく、

今、自分が動員できる感覚器官すべてを使って、

全体的に、総合的に、周囲の状況に対応する。


そうすると、星覚の言う「うわー」感が、体感できるのではないでしょうか。


1つの器官が他の器官の分まで補おうとする作用。


適度であれば、お互いに補い合う関係なんでしょうが、

度が過ぎれば、競合する関係になる。


身体感覚というのは、おそらくそういうものなんでしょう。


バランス良く。

 

そうやって自分の身体を使っていきたいですね。

 

今回はこの辺でzzz

2009/10/05

コメント(2)

ブログ毎回たのしみにしています。


最後の今回はこの辺でzzzっていう決めゼリフがかなり好きです。


そういえば、星覚さんが永平寺で暮らし始めたときのことをこういっていました。

「夕方になると陽が沈み始め、夜になると暗くなり、星が出る。そんなあたりまえのことを身体が感じると、なにかとても大きなものに包まれている安心感と、子供の頃に味わった無邪気な興奮がわきおこってきた。」


都会でも同じことが起こっているはずなんだけれども、それをとらえることを難しくするノイズがいっぱいなのでしょうか。


「教授」がout of noiseっていうアルバムをだした意味はそこにあると思います。

コメントありがとうございます♪

星太郎くん??

「今回はこの辺でzzz」、気に入ってもらえて嬉しいです。
決めゼリフというには、あまりにもユルい感じですが…(笑)。

都会に暮らしていると、自然のリズムを忘れそうになるよね。
だからこそ、花鳥風月に意識のチャンネルを向ける機会が欲しくなります。

子供のころのような…何か大きなものに包まれているような…
素敵な表現ですね。

そういう感覚は、死ぬまでずっと持っていたいですよね。

今後ともよろしくお願いします~

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