社交ダンスインストラクター井上淳生の「A little star in our body」

#25 発想の前提

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《北海道大学の大学祭。チリの留学生のお店です。おじさん、ありがとう!》

みなさん、こんにちは。

どこに発想の基礎を置くか。
今回はこのことについて2つのお話をしたいと思います。

社交ダンスの先生は、
パーティーで生徒さんとデモンストレーションをすることが
日常的にあります。

規模にもよりますが、だいたい100人ぐらいのお客さんの前で
生徒さんと2人だけで踊るのです。

会場の真ん中に設置されたフロアに2人きり。
2人のために曲は流れ、プログラムは用意され、
フロアが用意され、スポットライトが用意される。
みんなの注目が集まります。

失敗はできない。途中で転んだり、ステップを間違えて止まったり。
そんなことは絶対に避けたい。
先生も生徒さんも緊張します。

なので、練習中、必ず相談されることがあります。
それは、「失敗したらどうしよう。」というものです。

失敗したらどうしよう。

いろんな場面で頭をよぎるメッセージですね。

人が何かにチャレンジしようとする時に、必ず想起する問いかけです。

ぼくは、こう言われた時の応えを自分の中に持っているつもりです。

それは、練習通りには"絶対に"いかないということです。
ありきたりですが。

言い換えると、
練習中にはあり得なかった出来事が起こることを前提に
本番に臨みましょう、ということです。

失敗の要素をひとつひとつ挙げていったらきりがありません。
そんなものは無限にある。
それこそ、やってみないと分からない。

それよりも、失敗するかも知れないということを包み隠さず、
それを前提にして、つまり、
「失敗する(練習とは違ったアクシデントが起こる)」
ということを当たり前のこととして、練習に励みましょう。

ということを伝えるようにしています。

生徒さんにも言いますし、
自分が競技会に出る時にも心がけるようにしています。

本番では、練習中には予想もしなかったハプニングが起こるものです。

燕尾服のボタンが他選手との接触で飛んでしまうとか、
パートナーの衣装がヒールに引っ掛かるとか、
ぶつかって転ぶとか、せきこむとか、靴が脱げるとか、
曲が止まるとか・・・

聞いた話ですが、ある生徒さんは、
リフト(男の先生が女性の生徒さんを担ぎ上げてくるくると回すこと。)
の最中に気を失い、
先生は曲が流れ続ける中、そのまま担いで退場していったそうです。
見ている側は、そういう演出だと思ったそうです。
(おお、すごい!)

そういうのを当たり前のこととして心積もりをしておく。
何が起こるか分からないということを、
当たり前のこととして思っておく。

そこから発想を始める。
そういうのが大切だと思っています。

もうひとつ。
ちょっとズレますが、これも「発想の基礎」についての話です。

星覚の文章に共感したところがあります。

     もちろんあらそいはよくない。
     けれどもそれをやめることが、事実、
     人類は1万年たってもできていない。
     ならばその心を認めてどうすればそれを共存の為に、
     みんなの幸せの為に方向付けられるかを、
     伝統の智慧に学ぶべきではないだろうか。

これは、いろいろな場面で役に立つ考え方だと思います。

「こうあるべき」というあらまほしき世界の実現を胸に、
そこに向かって禁欲的に行動を組み立てていくということは、
とても大切なことだと思います。
理想がないと生きていておもしろくない。

しかし、その出発点において、
自分はこれがしたい!もしくはしたくない!という
初発の感情を無視して、立派な計画を立ててしまうと、
必ず失敗する。続かない。
そう思います。

     「世界が平和になってほしい!
  だから、自分の中にある争いを好む心性をどうにかせねば!」

というのは、どこかで無理が来る。

競争心そのものを排除するということを、
人間の心が求めていないから。
それを無視して規範を作ると、いつかは飽きるから。
飽きがくると、追究の手が甘くなってしまうから。

ぼくはそう思っています。

それは、
「すでにある、あってしまう心の動きを、こういうのは良くない、
と言って抑圧してしまうから」
だと思います。

そうではなくて、
そういうものがあると認めてしまう、
その存在を前提にして、そこからどう発想できるか、
という態度が大切かなと思います。

これはいわゆる「プラス思考」にも通じると思います。

ぼくはアマチュア選手の頃、
よくイメージトレーニングをしました。

大会前の1週間、毎朝6時に起きて座禅を組み、
大会の日を頭の中で再現しました。

とにかくうまくいっているイメージだけを作り出すように努めて。

静かな空気の中、会場入りし、受付を済ませて背番号をもらい、だんだんと人が集まってきて・・・
自分の出番が来たら、あの会場のこっちに向かって踊り始めて・・・
ここのステップは移動していくから、
人にぶつからないようにうまいこと調整して・・・
最後は決勝まで残って、表彰式で優勝のところでコールされて・・・

これを夜寝る前も布団の中で。
そんな涙ぐましい試みをしていました。

うまくイメージを継げない部分もあって、
いつもしんどかった気がします。

以前にも書いたように、
何年か前に出合った本があります(『未来と現在3』)。


以前はプラス思考の瞑想、
イメージトレーニングを大切だと思ってやっていました。
でもその方法に難があったかなと。
今はそう振り返っています。

負けるかも知れないという不安な気持ちを、
無根拠に抑圧してしまうのではなく、
負ける可能性が高いということを前提にして、
どうしたら負けるのか、
何をしたら失敗するのかを具体的に考えるようになりました。

で、疲れてきたらあとは天命を待つ。
その方が建設的な気がします。
それに健康にも良さそうです。

すでにある、あってしまう不安な気持ちを出発点に、
今後の行動を発想していく。
この方が生産的かなと。

発想を「どこから」始めるかということ。
それを自覚しておくことが大切だと思います。

自分の感情と相談して、
「ここまでならいくらでも譲れる。」というラインを決めておく。

そのライン決めの時に、
世に出回っているような、誰かが言っているような綺麗な物言いに惑わされず、
常識とかに関係なく、自分の初発の感情に向き合うこと。
それが大切なのかなと。

でないと、後になって、
「自分は本当はそんなことしたくなかった。反対だった。」
というとてもかっこ悪い言い訳をしてしまうことになると思います。

 星覚日替わりマスター、いつもありがとう。
いつも楽しみにしています。

今、自分の抱く違和感や不思議さや憤りを
どうやって言葉にして、
どうやって人の役に立つものに変換していけるかって
いうことについて、ぼくも具体的に考えていきたいと思っています。
ぼくも出来るだけ間を置かずに更新したいと思います。
お互いにふんばりましょう。
今後ともどうぞよろしく。

今回はこの辺でzzz

2010/06/13

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