何をしているときも、坐禅しているつもりでいるけど気持ちが良い。
国際部の事務所でもイスではなく、ザフを使って本を読んでいたら泰然さんが
「座禅しながらほんをよむとは!」と言ってやめるように言ってきた。
泰然さんいつもやさしくしてくれてるんだけど、お山染まっているてかんじで、意見を言うとダメだ。
でも永平寺では、じぶんの意志を公にしたり自分はこう思うが、どうなんだ?っていうのがはなからダメでさ。まあたしかにそれが効果的で、修行の為に良いこともわかる。
思えば一年でズイブン自我出てきたもんだ。
何も考えないで純粋に必死に毎日が行き詰まるように終わっていた昨年からは、環境ががらりと変わった。
でもやっぱりザゼンしながら本を読んじゃだめな理由はわかってない。
寝て読んでても、背中を曲げて読んでても、胡座をかいて読んでても、何もいわれないけど、ザゼンするとだめなんだ。
ここで言われることでよく思うのは、自分がそれを人に納得させられるか?
永平寺でやることには、頭で考えたり理由を求めたりせず、ただ素直にやるべきことと、なぜそうするのかしっかり考えて、納得する必要のあることとがある。
古参が親切にしてくれるのを良いことに我がままになってしまわないように、でも一つ一つ考えるべきところは考えてやろうと思う。
だってそうじゃなきゃ、そうして身に付いたもんじゃなきゃ、自分はわかっても友達はおろか世界中になんて、とっても伝えられないと思うのさ。

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