社交ダンスインストラクター井上淳生の「A little star in our body」

#19 "向上心"というマジックワード

CIMG3389.JPG ≪氷像作り。いくつものブロックを積み上げて、水をかけてつないでいます。≫

 

みなさん、こんにちは。

 

バンクーバー、盛り上がってますね。


鮮やかな色彩で氷上の華になり、

雪原を切り裂く一筋の雲になる。

白を背景に、美しい戦いが繰り広げられています。

 

 

さて。 

 

社交ダンスには、「競技」という側面があります。

 

競技ダンス。


他のスポーツのアスリート同様、

向上心を持って稽古に励む。

 

社交ダンスにはそんな面があります。

 


ところで。


              向上心


という言葉。


 

              向上心を持ちましょう。向上心が大事ですよ。


疑うことの難しい正論です。



              向上心があるのか?!向上心を持て!


確かに、練習中、

そんなことを言ってきたし、言われてきたように思います。

 

 

「向上心」とは、

 

          全てに先んじて優先されるアスリートの資質のようなもの

 

とでも言えるでしょうか。


 

「向上心を持つ」

という言葉を耳にすると、

無意識に「ああ、ちゃんとしなきゃ」と

姿勢を正してしまうから不思議なものです。 


 

でも。


僕は、この言葉のことを、

どんな状況でも誰に対しても、同じように通用する言葉だとは思っていません。

 

普遍的に通用する言葉であると、盲目的に信じたくないと思っています。


 

だから、この言葉の扱いには注意したいと思います。



耳になじみの良い言葉だからこそ、

世間一般で美徳とされている言葉だからこそ、


その扱いにはより繊細になりたいと思っています。

誰かに向かってこの言葉を使う時、

生み出される状況を想像できるようになっていたいと思っています。


 

その言葉が自分と相手にとって、それぞれどんな意味を生むのか?

 

自分にとっての「向上心」と相手にとっての「向上心」は、

どう違うのか、どう違わないのか?

 

 

そんなことについて自覚していたいと思います。


 

「向上心」という概念は、

 

 

           目的意識がある程度共有された者同士の間で使われて初めて、

           その意味を獲得するもの

 

 

そういうものだと思っています。


 

逆に言うと、自分と同じような目的意識を持っていない人に、

「向上心が足りないんじゃない?もっとがんばれ!」なんて言っても、

暖簾に腕押し、ぬかに釘で、言葉が通じないと思います。



こういう光景は、よく見かけます。


例えば、


競技ダンスの世界で日本のトップに立ちたいと切に願っている男女と、

そのように育てたいと考えるコーチ。

 

両者の間には、

いわば、暗黙の契約のような関係が発生して、

両者の間で使用される「向上心」という言葉は、

両者間を違和感なく流通し、

両者を共通の目的へと向かわせるエンジンとなるはずです。


 

でも。


競技ダンスの世界で、別に日本のトップに立ちたいとはそれほど思っていない男女と、

トップ選手を育てたいと願うコーチとの間で交わされる「向上心」という言葉は、

両者の間に意味を持って立ち上がってこないと思います。

 

コーチは、

「向上心」という言葉を使うことで、

彼らに厳しい練習に取り組ませたいと考える。

 

一方、その男女は、

「向上心」という言葉を使用することによって、

競技会で勝つためにそこそこの練習を楽しくやろうと考える。


 

「向上心」という言葉の向かう先が、

両者によって異なっている。

 

そんな状況で、

「向上心を持て!向上心だ!」なんてコーチが言ったとしても、

彼らはコーチの目指すような方向には進みません。


 

そんなのあたり前ですよね。

目的が違うんだから。

 

それに気付かずに、もしくは気付いたとしても、

「ああ、彼らはこういう目的意識を持っているんだな。」と、

彼らの意思を認めずに、ただただ、

自分基準の「向上心」を押し付けても何も意味がないと思っています。

 

誰も得をしない。


 

「向上心」の中身は、

人それぞれの目的意識に依存しているということ。

 

状況に関係なく使われる「向上心を持て!」という言葉は、

ナンセンスであるということ。


 

そんなことを考えてみました。


 

ちなみに、僕は、

「ちょうど良い向上心レベル」というものを持ちたいと思っています。

 

そして、

それに関して周囲から圧力も受けたくないし、

逆に他の人にもかけたくない。

 

そう思っています。


 

状況に関係なく、

 

「向上心を持て!」


なんて言われても、お題目を聞いているようで、自分の心に響いてこない。

教科書に載っている格言の受け売りを聞かされているようで、何も残らない。

 

その人が念頭に置いている「向上心レベル」と、

僕のそれとがけっこう離れているな、と感じた時は特に。


 

おそらく、自分の心に響く「向上心」という言葉の使われ方は、

  

「あなたは、この分野でこういうことを目指して今、活動している。

そのパフォーマンスの精度を上げるためには、こっちの方向に心を向けるのが良いと思う。

その方向に向かって進むための推進力(向上心)を持つように。」  


そういうのだと思います。


目的意識を把握した上での、方向指示。

そして、それに向かうための推進力の喚起。 

   

そういうものが、「向上心」という言葉の説得的な使われ方かなと。

そう思います。


人によって異なる「向上心」のレベル。

それを認め合いながらも、どこかの部分で重なる。

 

人とは、そうやって関わっていきたいと思っています。

 

今回はこの辺でzzz

 

2010/02/20

コメント(2)

言葉の持つ(辞書上ではない)意義についてのお話、もっと聞いてみたいです!!

確かに、人によって全く違う意味あるいは思いで言葉って使われてますよね!

僕にとっての人生に対する「向上心」は「いかにその状況を楽しむか」です。
(向上心っていうか人生の目標みたいな感じですかね。)

コメントありがとうございます♪

そういう言葉ってたくさんありそうですね。
例えば、「常識」とか「普通」とか「誠意」とか。

だから、その時々における自分にとっての意味と、
他の人にとっての意味をつき合わせる必要がありそうです。

いちいち口に出して確認しあうのが無粋だと思うなら、
「あ~、この人はこういうことを指して“普通”と言ってるんだな。」と、想像するとか。

そういうことを言葉ごとに1つ1つ確認していくと、
自分オリジナルの定義集みたいなものができると思います。

だから、
自分にとっての「向上心」とはこれっぽい、
と確認するのって、
すごく大切なことなんだと思います。

共にそういうことをやっていければ良いですね。

今後ともよろしくお願いします♪

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